今日も、この一つ前の記事にて紹介させて頂いた
「みやざき中央新聞」に掲載されたお話を紹介させて頂きますね
『生まれ変わって「今」がある』
子供の頃、その少年は「ヨシちゃん」と呼ばれていた。
ヨシちゃんが生まれたのは、田舎からさらに幾重にも連なる山の向こうの、
まるで宮崎駿監督のアニメ『もののけ姫』がでてきそうな山奥の小さな集落だ。
生まれたとき、ヨシちゃんの足は曲がっていた。
頭は水頭症のように腫れて柔らかく、眼球は安定せず、乳を吸う体力もなかった。
田舎の病院では病名が付けられず、周囲からは「先祖のたたりでは?」と囁かれていた。
ヨシちゃんの成長を妨げたのは骨のもろさだった。
ちょっとした力が加わると音を立てて折れた。
幼少期に骨折した回数は30回近くにも及んだ。
その度に激痛が走った。
両親も、祖母も、そんなヨシちゃんが不憫でならなかった。
そんなヨシちゃんには、大人も驚くような才能が一つあった。
歌声だ。歌のうまさは誰もが称賛した。
村祭りや宴会があるとヨシちゃんはスターだった。
得意な『岸壁の母』を歌って村人たちを楽しませた。
小学校に入る頃、病名が分かった。
先天性骨形成不全症。
2万人に1人の割合で発症する原因不明の難病だ。
骨が折れやすく、なかなか身長が伸びない。
ヨシちゃんは養護学校に入学し、寄宿舎生活となった。
4年生の頃になると病状も落ち着き、骨折もしなくなったので、地元の小学校への転入が認められた。
この上ない喜びを感じた。
その後も入退院を繰り返したが、養護学校高等部の3年にもなると、
ずいぶん元気になり、進学も夢ではなく、現実のものとなった。
迷わず音楽大学を選んだ。
日本を代表するカウンター・テナー歌手、
米良美一さんの話だ。
最近やっと自分の過去を振り返れるようになったという。
宮崎駿監督の『もののけ姫』の主題歌を歌って一躍有名になったというぐらいしか知らなかったので、その過去に驚いた。
自分の過去を恨み、自分の容姿を蔑み、
「絶対見返してやる!」という思いで米良さんは頑張ってきた。
だが、歌手として成功したものの、何の幸福感もなかった。
それどころか、歌えない、声が出ない日々に苦悩したという。
そのスランプから脱出するきっかけになったのは「ヨイトマケの唄」との出会いだった。
土木作業員をしながら自分を回顧する三輪明広さんの代表作だ。
米良さん自身の幼少期と重なった。
身長150センチ弱の米良さんはこう言っていた。
「今度生まれ変わるとしたら、声はそのままで、身長は180センチぐらいで生まれてきたい、なんて虫のいいことを考えています。」
「でも、こんな体に生まれてきたのは、もしかしたら、僕自身が昔、
『今度生まれ変わるときは、あえて重い障害を背負って、そして土方をやっているような両親に生まれてみたいです。
そういう中で僕は親に孝行し、幸せを掴んでみせます。
それが僕の魂を鍛えるのに一番いいと思いますから』と願ったんじゃないかと思っているんです。
そしたら自分の人生、恨めませんよね。むしろ今はこの体、そして自分を、愛しく思えるのです。」
2010年11月刊行
みやざき中央新聞 編集長 水谷もりひと
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