心に響く小さな物語PARTⅡ
今日も、優しさ通心より、感動のお話しをお届けします
私は、このようなお話を読んで頂いて、その読んだ方が何かを感じて貰えばいいと思っています。
個々の捉え方は様々ですので、ここで、あえて私の感想も控えさせて頂きます。。
が、今回は一言だけ。。
幼い子どもを残して逝かなくてはいけないと言う母親の無念を思うと
同じ子を持つ親として、涙が止まりませんでした。
私も持病を抱えていますので、子どものためにも、健康管理をしっかりとして
寂しい想いはさせまいと心に誓ったのでした
『母の愛』
◇少年は両親の愛情をいっぱいに受けて育てられた。
ことに母の溺愛は、近所の物笑いの種になるほどだった。
その母親が姿を消した。
庭に作られた粗末な離れ。
そこに籠もったのである。
結核を病んだのだった。
近寄るなと周りは注意したが、母恋しさに少年は離れに近寄れずにはいられなかった。
しかし、母親は一変していた。
少年を見ると、ありったけの罵声を浴びせた。
コップ、お盆、手鏡と手当たり次第に投げつける。
青ざめた顔。長く乱れた髪。荒れ狂う姿は鬼だった。
少年は次第に母を憎悪するようになった。
哀しみに彩られた憎悪だった。
少年6歳の誕生日に母は逝った。
「お母さんにお花を」と勧める家政婦のオバサンに、
少年は全身で逆らい、決して柩(ヒツギ)の中を見ようとはしなかった。
父は再婚した。
少年は新しい母に愛されようとした。だが、ダメだった。
父と義母の間に子供が生まれ、少年はのけ者になる。
少年が9歳になって程なく、父が亡くなった。
やはり結核だった。
その頃から少年の家出が始まる。
公園やお寺が寝場所だった。
公衆電話ボックスで、体を二つ折りにして寝たこともある。
そのたびに警察に保護された。
何度目かの家出の時、義母は父が残したものを処分し、家をたたんで蒸発した。
それからの少年は施設を転々とするようになる。
13歳の時だった。少年は知多半島の少年院にいた。
もういっぱしの「札付きの悪」だった。
ある日、少年に
奇跡の面会者が現れた。
泣いて少年に柩の中を見せようとした、あの家政婦のオバサンだった。
オバサンはなぜ母が鬼になったのかを話した。
死の床で母はオバサンに言ったのだ。
「私は間もなく死にます。あの子は母親を失うのです。
幼い子が母と別れて悲しむのは、優しく愛された記憶があるからです。
憎らしい母なら死んでも悲しまないでしょう。
あの子が新しいお母さんに可愛がってもらうためには、
死んだ母親なんか憎ませておいた方がいいのです。その方があの子は幸せになれるのです。」
少年は話しを聞いて呆然とした。
自分はこんなに愛されていたのか。
涙がとめどなくこぼれ落ちた。
札付きの悪が立ち直ったのはそれからである。
作家、西村滋さんの少年期の話しである。
「心に響く小さな5つの物語」
致知出版社より
関連記事