2015年09月04日
私の就活(20ん年前~)
私は、ご存知の通り?地元沖縄の県立の看護学校を卒業し、
看護師の資格を取得した
県立の学校という事で、学校の運営は、県からの補助により成り立っており、
また、私達、学生の学費は、かなり抑えられている、聞いていた。
遠い記憶であるが、学費は、年間数万円だったと記憶している
よって、卒後の就職先は、県内にし、
県に貢献しなければならないという暗黙のルールがあり、
毎年、卒業生の就職先は、大半が、県内だった。
そんな中でも、私は、就職先を県外と心に決めていた。
どしても、都会(広い世界)に出て、視野を広げたかったのだ。
幸い、私の両親は、基本、子どもがやりたい事に口を挟んだり、
反対するような事はなく、むしろ、応援してくれた。
その点は、安心して、就活が出来た。
私が就活を始めたのは、看護学生、3年生の前半から。
周りは、まだのんびりしていた頃に
密かに、就活をしていた。
就活と言っても、
当時は、パソコンが普及している訳でもなく、
携帯も、特定の人しか持っていない時代。
現在のように、簡単にインターネットにて検索出来なかった。
そんな時代、私が行った就活は。。。
看護雑誌に掲載されている全国の病院の案内記事を読み、情報収集したり、
その雑誌に付属していた資料請求のハガキを出して
資料を請求したりすることだった。
請求し集めた資料を見ながら、
近い将来の自分の姿や生活状況をイメージするのが
当時、レポート提出に追われる毎日を送っていた私にとって
そのプレッシャーから解放される唯一の至福の時間だった
私は、後に、ここ愛知県の大学病院に勤務する事を決めたのだが
私が、就活する上でのポイントは。。。
「新人教育」が充実している事
「救急看護」が学べ、実践出来る事
「給与」が良い事
「都会的な環境」である事
以上の点だった。
最後の環境に関しては、若干、期待外れなところもあったが、
住めば都。。直ぐに、気に入った
就職してから、数ヶ月後、
看護学校3年生の頃の担任から実家に連絡があり、
直ぐに、辞めて沖縄へ戻って来るように!!
と、お怒りだったとの事
が、私の意思は変わらなかったので、
その担任へ
「高度救命救急看護を学ぶために来ました。
いつかは、帰りますので、それまで、わがままを許してください。」
とだけ記した手紙をだ出した。
その後、担任から、一切連絡はなかった。
ただ、「いつかは帰る」。。は、現実になっていない
話しは逸れてしまったが、
私の就活の話しは、これまで~
最後に。。
高1の我が息子、将来、海外で暮らすこと目指しているが、
私は、その息子の意思を尊重し、応援している。
私が、自由にさせて貰っように
看護師の資格を取得した

県立の学校という事で、学校の運営は、県からの補助により成り立っており、
また、私達、学生の学費は、かなり抑えられている、聞いていた。
遠い記憶であるが、学費は、年間数万円だったと記憶している

よって、卒後の就職先は、県内にし、
県に貢献しなければならないという暗黙のルールがあり、
毎年、卒業生の就職先は、大半が、県内だった。
そんな中でも、私は、就職先を県外と心に決めていた。
どしても、都会(広い世界)に出て、視野を広げたかったのだ。
幸い、私の両親は、基本、子どもがやりたい事に口を挟んだり、
反対するような事はなく、むしろ、応援してくれた。
その点は、安心して、就活が出来た。
私が就活を始めたのは、看護学生、3年生の前半から。
周りは、まだのんびりしていた頃に
密かに、就活をしていた。
就活と言っても、
当時は、パソコンが普及している訳でもなく、
携帯も、特定の人しか持っていない時代。
現在のように、簡単にインターネットにて検索出来なかった。
そんな時代、私が行った就活は。。。

看護雑誌に掲載されている全国の病院の案内記事を読み、情報収集したり、
その雑誌に付属していた資料請求のハガキを出して
資料を請求したりすることだった。
請求し集めた資料を見ながら、
近い将来の自分の姿や生活状況をイメージするのが
当時、レポート提出に追われる毎日を送っていた私にとって
そのプレッシャーから解放される唯一の至福の時間だった

私は、後に、ここ愛知県の大学病院に勤務する事を決めたのだが
私が、就活する上でのポイントは。。。
「新人教育」が充実している事

「救急看護」が学べ、実践出来る事

「給与」が良い事

「都会的な環境」である事

以上の点だった。
最後の環境に関しては、若干、期待外れなところもあったが、
住めば都。。直ぐに、気に入った

就職してから、数ヶ月後、
看護学校3年生の頃の担任から実家に連絡があり、
直ぐに、辞めて沖縄へ戻って来るように!!
と、お怒りだったとの事

が、私の意思は変わらなかったので、
その担任へ
「高度救命救急看護を学ぶために来ました。
いつかは、帰りますので、それまで、わがままを許してください。」
とだけ記した手紙をだ出した。
その後、担任から、一切連絡はなかった。
ただ、「いつかは帰る」。。は、現実になっていない

話しは逸れてしまったが、
私の就活の話しは、これまで~

最後に。。
高1の我が息子、将来、海外で暮らすこと目指しているが、
私は、その息子の意思を尊重し、応援している。
私が、自由にさせて貰っように

Posted by さとたん at 00:17│Comments(0)
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